Google地図情報上にリンクさせて写真の投稿が出来るサービス『Panoramio』に、隠者が投稿していた有田の町並みの写真に、先日 日系3世の外国人の方からコメントと情報を頂きました。
← こちらの画像が隠者が『Panoramio』にアップした現在の『桂雲寺』(有田陶器市発祥の地)の写真で、
こちらの写真⇒ が、コメントで情報を頂いた『終戦直後の桂雲寺』を撮影した画像ということでした。
現在は石段の部分はスロープになっていますが、お寺の金剛力士像は今も当時のままのようで、間違いなく『桂雲寺』の写真だという事が判ります。
この写真は、終戦直後に米国海軍によって撮影された佐世保周辺のスナップ写真の中に残っていたもののようで、IIT Downtown Campus Liblary - イリノイ工科大学(Illinois Institute of Technology)の図書館 - に収蔵されているものから探し出され、隠者のアップした画像に情報として提供して頂いたものでした。
そして翌日、次に情報を頂いたのが『有田の中心地 札の辻』の写真でした。
← 隠者が『Panoramio』にアップした
『有田陶器市での札の辻のようす』に対し、
↓ 終戦直後の『札の辻』の画像がこちら。
おそらく地元の人間でもこの写真⇒ を見てすぐにこの写真が『札の辻』だとは気付かないと思いますし、それをしかも国外の図書館収蔵の写真の中から日系3世の外国人の方が探し出されて教えて頂いたという事に、本当に驚かされました。
良く見ると、道路右側の家は今もほぼその面影を残しており、この写真が『札の辻』の写真に間違いが無い事が分ります。
そして、この写真から興味を抱き、他にも有田の写真が残っていないかと IIT Downtown Campus Liblary の収蔵写真をチェックしたところ、もう1枚だけおそらく有田の写真だろうと思われる画像を見つけました。。。その写真がこちら↓

ウインドウ、そして家の中に飾られた『陶磁器』の数々、そして、有田に良く見られる家の作りからして、おそらく有田の町のどこかで撮影されたものに間違いないと思い、この場所がいったいどこなのかを Googleマップのストリートビューを使ってずっと探してみたのですが、結局ストリートビューでは見つける事が出来ませんでした。。
おそらく写真に写っている家屋の部分は既に改装されているか、建て替えられているかで、その姿は今は残っていないのだろうと、半ば諦めかけていたのですが・・
ふと上の2枚の写真の事を考えると、どちらも『札の辻』に近い場所で撮影されている事から、この写真もおそらく『札の辻』周辺なのではないかと思い、もう1度3枚の写真を良く見比べてみる事にしました。
すると2枚の写真にある共通点が・・・
← 『札の辻』の写真の左下にわずかに覗く『荷物の箱』と、
⇒ 3枚目の写真の、家と家の間に置かれた『荷物の箱』が、もしかしたら同じ荷物ではないかという事に気が付きました。
ということは、この2枚の写真はほぼ同じ場所からアングルを変えて撮影されたものではないかと気付き、それを確かめるべく実際にその場所に行って当時のアングルで写真を撮ってみる事にしました。
↑ 右の写真が今回撮影したもの。
店の作りは改装されていて変わってしまっていますが、ほんの少し見えている左側の家の2階部分の壁の作りなどを見ると、全く同じ状態ですので推理的中♪
良く見ると右の家の雨戸袋だったものが、改装後そのまま左の家の雨戸袋として使われているようにも見えます。
↑ ついでに『札の辻』の写真も同じアングルで撮影して比べてみました。
道路右側の家の作りはほぼ当時のままです。
そして、今回の発見で1番驚いた事は、この探し当てた写真に写っていた右側の家が、現在隠者が『菖蒲の隠者アンテナショップ』として借りている家だったのです。↓
このアンテナショップとして借りている家は、25年ほど前までは『パチンコ店』でしたので、この写真⇒ はその『パチンコ店』になる以前の姿を残しているわけで、隠者も見た事がない景色です。

たまたま隠者がアップしていた有田の写真から、見ず知らずの外国人の方に情報を頂き興味を覚え、辿り着いたのが自分が借りているお店の昔の姿を残す写真だった。。。
ちょうどこの情報を頂く前日に、地元で開催された『先人陶工感謝祭』というイベントに参加し、有田の古い写真などに触れ関係者の方と『こういった写真を紹介する場が増えたら良いですね』などと言葉を交わしたばかりでしたので、今回の出来事がただの偶然とは思えず、有田の先人達に導かれてこういった写真に触れる事が出来たのではないかと思える、不思議な出来事でした。。。
ちょうど良い機会ですので、先日行われたイベント
『先人陶工感謝祭 - 有田焼の原点 泉山磁石場に入ろう!』
に参加し撮影して来た動画をご紹介します。


こちらの写真⇒ が、コメントで情報を頂いた『終戦直後の桂雲寺』を撮影した画像ということでした。
現在は石段の部分はスロープになっていますが、お寺の金剛力士像は今も当時のままのようで、間違いなく『桂雲寺』の写真だという事が判ります。
この写真は、終戦直後に米国海軍によって撮影された佐世保周辺のスナップ写真の中に残っていたもののようで、IIT Downtown Campus Liblary - イリノイ工科大学(Illinois Institute of Technology)の図書館 - に収蔵されているものから探し出され、隠者のアップした画像に情報として提供して頂いたものでした。
そして翌日、次に情報を頂いたのが『有田の中心地 札の辻』の写真でした。

『有田陶器市での札の辻のようす』に対し、
↓ 終戦直後の『札の辻』の画像がこちら。

おそらく地元の人間でもこの写真⇒ を見てすぐにこの写真が『札の辻』だとは気付かないと思いますし、それをしかも国外の図書館収蔵の写真の中から日系3世の外国人の方が探し出されて教えて頂いたという事に、本当に驚かされました。
良く見ると、道路右側の家は今もほぼその面影を残しており、この写真が『札の辻』の写真に間違いが無い事が分ります。
そして、この写真から興味を抱き、他にも有田の写真が残っていないかと IIT Downtown Campus Liblary の収蔵写真をチェックしたところ、もう1枚だけおそらく有田の写真だろうと思われる画像を見つけました。。。その写真がこちら↓

ウインドウ、そして家の中に飾られた『陶磁器』の数々、そして、有田に良く見られる家の作りからして、おそらく有田の町のどこかで撮影されたものに間違いないと思い、この場所がいったいどこなのかを Googleマップのストリートビューを使ってずっと探してみたのですが、結局ストリートビューでは見つける事が出来ませんでした。。
おそらく写真に写っている家屋の部分は既に改装されているか、建て替えられているかで、その姿は今は残っていないのだろうと、半ば諦めかけていたのですが・・
ふと上の2枚の写真の事を考えると、どちらも『札の辻』に近い場所で撮影されている事から、この写真もおそらく『札の辻』周辺なのではないかと思い、もう1度3枚の写真を良く見比べてみる事にしました。
すると2枚の写真にある共通点が・・・


⇒ 3枚目の写真の、家と家の間に置かれた『荷物の箱』が、もしかしたら同じ荷物ではないかという事に気が付きました。
ということは、この2枚の写真はほぼ同じ場所からアングルを変えて撮影されたものではないかと気付き、それを確かめるべく実際にその場所に行って当時のアングルで写真を撮ってみる事にしました。


↑ 右の写真が今回撮影したもの。
店の作りは改装されていて変わってしまっていますが、ほんの少し見えている左側の家の2階部分の壁の作りなどを見ると、全く同じ状態ですので推理的中♪
良く見ると右の家の雨戸袋だったものが、改装後そのまま左の家の雨戸袋として使われているようにも見えます。


↑ ついでに『札の辻』の写真も同じアングルで撮影して比べてみました。
道路右側の家の作りはほぼ当時のままです。

このアンテナショップとして借りている家は、25年ほど前までは『パチンコ店』でしたので、この写真⇒ はその『パチンコ店』になる以前の姿を残しているわけで、隠者も見た事がない景色です。

たまたま隠者がアップしていた有田の写真から、見ず知らずの外国人の方に情報を頂き興味を覚え、辿り着いたのが自分が借りているお店の昔の姿を残す写真だった。。。
ちょうどこの情報を頂く前日に、地元で開催された『先人陶工感謝祭』というイベントに参加し、有田の古い写真などに触れ関係者の方と『こういった写真を紹介する場が増えたら良いですね』などと言葉を交わしたばかりでしたので、今回の出来事がただの偶然とは思えず、有田の先人達に導かれてこういった写真に触れる事が出来たのではないかと思える、不思議な出来事でした。。。
ちょうど良い機会ですので、先日行われたイベント
『先人陶工感謝祭 - 有田焼の原点 泉山磁石場に入ろう!』
に参加し撮影して来た動画をご紹介します。